御祭神
菟道稚郎子命(うじの わきいらつこの みこと)第十五代 応神天皇の皇子
文教の始祖として、学業成就・受験試験合格の神様であり、この宇治の氏神として古来より崇敬されてきております。
御神徳
◇学業成就、各種の試験合格
幼い頃より聡明で、百済の王仁(わに)や阿直岐(あちき)について、学問の道を究められ、まさに文教の始祖として、学業成就・受験試験合格の神様として崇敬されております。
◇安産成就
御祭神は、安産の神「神功皇后」の孫神であり、また、安産多産である「うさぎ」ともご縁があるため信仰があります。
戌の日のお参りはもちろんのこと、卯の日での安産祈願の信仰もあります。
御由緒
当神社の鎮座する場所は、宇治橋の上流宇治川の右岸、この辺りは応神天皇の離宮(桐原日桁宮:きりはらひげたのみや)跡でもあり、皇子の菟道稚郎子命の宮居跡と伝えられております。
父である応神天皇は生前より、御祭神の菟道稚郎子命を皇嗣として指名されており、兄である大鷦鷯命(おおさざきのみこと【後の仁徳天皇】)を太子の輔導にあてられておりました。これは、我が国の古代の慣例で、なるべく若い者に嗣がせた方が、一代での活躍期間が永く、繁栄が期待できるとされていたからです。
しかしながら、菟道稚郎子命は博士の王仁(わに)から儒教の思想を受けられており、長男相続説を唱えておられました。
そのようなことから、応神天皇崩御(310年)後は、菟道稚郎子命と大鷦鷯命とが3年近くに亘って互いに皇位を譲り合い、空位が続き国の混乱を招いた。(古事記〈中巻、応神天皇〉日本書紀〈巻第十一、仁徳天皇〉)
菟道稚郎子命はこの状態を解決するため、312年に自らが皇位に就くのではなく、宮居のあったこの宇治の地で自らの命を絶つという選択をし、兄である大鷦鷯命に皇位を譲ったのである。
この出来事を悲しんだ大鷦鷯命が仁徳天皇として即位した年(313年1月3日)の313年5月、この地に菟道稚郎子命の御神霊を祀ったことが当神社の創祀である。
文化財
御本殿 国指定重要文化財
現在の建物は鎌倉時代初期の建立で、三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)屋根の建物であり、菟道稚郎子命の木造坐像とともに国の重要文化財に指定されている。
御本殿は高床になっており、空洞部分の中央には、石の土台のようなものが現存し、当神社の創祀の際の跡であることがうかがえる。
御扉は三つあるが、中央にのみ扉の内側にもう一つ扉があり、御神体をお祀りする構造となっており、菟道稚郎子命の木造坐像もともに祀る。
左右の扉内は一つの部屋になっていることから、同時期に作られたとされる木造の狛犬が奉安されていたと考えられる。
菟道稚郎子命の木造坐像 国指定重要文化財
男神像に良く見られるように冠を頂き、笏を持ち、立襟の袍と袴をつけて趺坐している。一木造りの彩色像で、膝前は別材と思われる。面奥、体奥が厚く重厚な像であるが、像容は穏やかなまとまりが感じられる。
木造の狛犬 宇治市指定重要文化財、宇治市歴史資料館委託
鎌倉時代前期の阿形、吽形の一対で、檜材の一木造、彫眼、内刳はない。矧ぎつけ、口の周辺に植毛痕がある。阿形は上体を後方に反り、胴を立て気味の姿勢をとる。現存する木造狛犬最古の例という。それぞれ80.9cm、87.7cm。二体は別の作者によるものという。
白色尉面 宇治市指定重要文化財
安土・桃山時代作の有鬚面の白色尉面は、能面作者・喜兵衛(きひょうえ)作であり、面裏に「叶」の刻銘がある。「雪掻きの面」と呼ばれる。伝承があり、かつて雪の降った朝、境内の雪を掻いている際に現れたものという。以前は、翁舞「長者のたらり」の際に用いられていた。縦19cm、横15cm。檜材。当社は中世(鎌倉時代-室町時代)には、猿楽の拠点になっていた。
神使のみかえり兎
ご祭神が河内の国からこの地に向かわれる途中で道に迷われた時に、一羽の兎が現れ出て、振り返り、振り返り先導しこの地に道案内をしたという故事により、正しい道へと導く「神使のみかえり兎」が崇められております。