御由緒

宇治橋の上流宇治川の右岸、この辺りは応神天皇の離宮(桐原日桁宮:きりはらひけたのみや)跡でもあり、皇子の菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)の宮居の跡と伝えられており、菟道稚郎子命の死後にその神霊を祀ったのが、この神社の始まりです。
応神天皇が菟道稚郎子命を皇嗣と定められ、命の御兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと 後の仁徳天皇)を太子の輔導にあてられた。これは、わが国の古代の慣例で、なるべく若い者に嗣がせた方が一代の活躍期間が長く、国の繁栄を期待する可能性が強いとされていたからである。
ところが、菟道稚郎子命は博士王仁(わに)から儒教の思想を受けておられ、長男相続説を守っておられたので、応神天皇崩御の310年に兄宮に皇位に即かれるようにと勧められた。しかし、大鷦鷯尊は日本的な思想の方で、互いに皇位の譲り合いが続いた。
菟道稚郎子命は御父天皇崩御の後、312年に宮居を菟道に移され、皇位を早く定めて天下の煩いを除くために自害せられ、兄宮に譲られたである。

御神徳

宇治の産土神(うぶすながみ)としての信仰は勿論のこと、幼い頃より聡明で、王仁などについて学問の道を極められ、我が国文教の始祖として、現在も学業・受験合格祈願などのお参りが多い。

重要文化財

本殿 国の重要文化財
本殿は国の重要文化財となっており、三間社流れ造り桧皮葺きの社殿で、鎌倉時代初期の建設であります。
殿内中央には平安中期の菟道稚郎子命の木造神像が安置してあります。

彩色木像「菟道稚郎子命坐像」 重要文化財
等身大の男神像で、衣冠、笏を持つ坐像俗体像。

木造狛犬 宇治市指定重要文化財・歴史資料館委託
鎌倉時代前期の阿形、吽形の一対で、檜材の一木造、彫眼、内刳はない。矧ぎつけ、口の周辺に植毛痕がある。阿形は上体を後方に反り、胴を立て気味の姿勢をとる。現存する木造狛犬最古の例という。それぞれ80.9cm、87.7cm。二体は別の作者によるものという。

白色尉面 宇治市指定重要文化財
安土・桃山時代作の有鬚面の白色尉面は、能面作者・喜兵衛(きひょうえ)作であり、面裏に「叶」の刻銘がある。「雪掻きの面」と呼ばれる。伝承があり、かつて雪の降った朝、境内の雪を掻いている際に現れたものという。以前は、翁舞「長者のたらり」の際に用いられていた。縦19cm、横15cm。檜材。当社は中世(鎌倉時代-室町時代)には、猿楽の拠点になっていた。

神使の兎

御祭神が、この地に住まいを定められて、河内の国より向かわれる途中、道に迷われ難渋している時に、一羽の兎が現れ、後からついて来られる御祭神を振り返り振り返り先導申し上げたという古伝により「みかえり兎」と言われ、この後、道徳に叶った正しい人生の道を歩むよう教え諭しているもので、神様のお使いとされております。
又、菟道という字を「うぢ」と読み、内なる場所の意味を持ち、後に「宇治 うじ」という字になったとも言われている。

祭神

菟道稚郎子命 (うじのわきのいらつこのみこと)
父・応神天皇に寵愛され皇太子に立てられたものの、異母兄・大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るために自殺したという美談で知られています。